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Posted by チェスト at

2014年08月18日

山姥考

興味の対象は突然どこからか降って来る。
別の言い方をすると、心の深層に仕舞われていたものが突然浮上する。
小川芋銭の版画<山姥>を観た瞬間、そんな感覚になった。

小川芋銭の70〜80%が贋作だと言われているが、版画なら大丈夫と購入した。

先程届いたそれは紙に少しの皺はあるものの、大きな破損もなく大正12年の摺りにしては
色も綺麗に残っている。



私はこれが届く間<山姥>につい文献を頼りにあれこれと思いを巡らせていた。
先ず昔話の中に登場する道に迷った旅人を食べようと、夜中に包丁を研ぐ鬼女。
この鬼女のイメージが山姥のイメージを固定化している様だ。
次に<くわづの女房>に登場する恐ろし気な大きな口を頭に持つ女房の結末に見る生死観と
稲畑文明から連想される山の神のイメージ。
そして<見るなの座敷>に代表される、美しい娘=ウグイス=天女のイメージ。






手にした青々とした枝葉は何であろうか?
菅笠は旅を意味するのだろうか?

清々しく上品な顔から私は山姥と言うより仙女のイメージを強く受ける。

私はこれを軸に仕立てて朝夕眺めていたい。
版を彫った人や摺った職人の気配を感じていたい。

表装に使う布は時代を揃えて大正のものを用意しよう。
軸先は何が似合うだろうか。
早くも私の興味はそれを自分好みの軸に仕上げる事に向かっている。


  


Posted by バラ色の雲 at 14:45 │Comments(0) │思索・試作・創作